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2008/03/01

尊敬するひとりのサックス奏者


高橋達也さん(テナーサックス)。

Be Happy Jazz Festivalという社会人ビッグバンド連盟主催のコンサートに毎年ゲストとして招かれていた、元東京ユニオンのリーダー兼ソリスト。
2001年のBe Happy Jazz Festival前夜祭で一度だけ共演させていただいた(写真中央左側に座っているのが瀬利。この頃は髪を染めていた)。

こんなエピソードがある。

リハーサルで高橋さんフィーチャーの「Lover Come Back To Me」をやっていた時のこと。
Tuttiで間奏を演奏した後、自分のパート(テナーサックス)に12小節だけソロが割り当てられていた。
そう、この譜面は本来vocal用に作ったものでvocalの部分を高橋さんに演奏いただいていたのだ。

で、指定通りソロを吹いた。
曲が終わった後、高橋さんは仰った。

「なんだ!ソリストがこのバンドにはいるじゃないか。一緒に吹けばいいじゃない!」

何と前で二人で演奏しようと仰るではないか!
当時の自分は24歳の若造、吹っ切れた時の音は良いがまだまだ自信のないプレイをしていた頃。
高橋さんとのキャリアの差は歴然としており、恐れ多いとばかり感じていた。

そんなこんなで萎縮しながらリハが終了。
その後、なんとトイレでばったりお会いして(笑)、
「マウスピースは何を使っているの?」
なんて話しかけてくれた、と思う(当の本人は緊張して内容をほとんど覚えていない…)。

でも、ステージ上での演奏さながらのとても朗らかで、懐の深い方だった。
自宅に本番の写真が残っていた。何故かモノクロだけど。



いかに自分が緊張していたか、この写真からでもよく分かる。
そして、本番終了後に「高橋達也さんの芸歴50年記念パーティー」が開かれ、壇上でスピーチした高橋さんは
「彼のような若く素晴らしいプレイヤーがたくさん出てきているから楽しみだ」
と私の方を見て、言ってくださったのだ!
先にも述べたとおり、演奏する上での確固とした自分のスタイルが全くなかった頃なので、当時の自分はジャズを演奏することに対して壁に当たっていた。
それなのに、こんな暖かいエールを送ってくださるなんて…
あまりに感動したのか嬉しかったのか、人目を憚らず、号泣したのを覚えている。
また、この時のリードアルトの方にリハが終わった後
「フレーズなんてどうでもいい。高橋さんの音を学べ!」
と強く言われたのが印象的だった。全盛期の音は本当に素晴らしかったのだ、と。
確かに共演した時の艶やかな音は、自分に衝撃を与えるに余りあるものだった。
またお会いした時は、この時のお礼が言いたい…
…その高橋さんが、昨日亡くなったという訃報を人づてに知った。
「一期一会の出会い」とは、まさにこのこと。
あなたの素晴らしさは、今でも心の中に大きく残っています。
ミュージシャンの端くれとして、あなたの遺志を引き継いで生きていきます。
どうぞ、私が逝く時は、一緒にまた演奏しましょう。
R.I.P.

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

♪瀬利さん
心に残る大きな存在の方のことは、きっと永遠に瀬利さんの心の中で生き続けると思います。

その方の意思を継いで、また瀬利さんが誰かに紡いでいけるといいですよね。

私にも、瀬利さん同様に、尊敬する方がいたのですが、亡くなられて何年も経つ今も、その方からいただいた言葉は、ずっと心の中で忘れることはないし、励みになっています。

瀬利 優彰(sax,cl) さんのコメント...

♪れなさん
ありがとうございます。
高橋さんは生きる勇気、音楽を続ける勇気を頂いた方です。

ビデオやCDで当時の記録は残っているので(号泣シーンはないですが)、ずっと忘れないようにします!